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李瑞清墓



李瑞清の墓は牛首山の雪梅峰東側に位置しています。

李瑞清(1867—1920)。字は仲麟、号は梅庵、一号は梅痴とも言われています。民国に入ってから、別号で清道人と言われていました。李瑞清は清末・民国初の有名な学者、教育家、書家、また字画作家であり、中国の近現代の教育における重要な定礎人、改革者、中国現代美術教育の先駆者、また中国現代高等師範教育の開拓者です。李瑞清は本籍が江西臨川で、光緒年間に進士となり、そして翰林院庶吉士を授され、二年後、江寧提学、また両江師範学校(元中央大学今南京大学の前身)監督(校長)を担当し、江南布政使代理を務めました。清亡・民国初めごろ、その晩年は書や絵を売ったりして生活をしのぎました。李氏は書道の芸術源流に独自の見解をも加え、また、真、草、隷書、篆書諸字体に詳しく、山水人物画にも堪能でした。古画も得意で、一時は清道人として名高く、海外まで名を馳せたといいます。1920年初め、日本書道界からの特別招聘によって、清道人の書いた拓本が展示され、日本の与野党からも「中国の書家百年来の第一人者」と評価されました。

李瑞清は生涯教育人で、生徒は天下にいっぱい居ました。有名な学者である秉忠、胡小石、中国画の大家である張大千、美術教育家の吕凤子、及び抚州書道家の李仲乾、何砚青、黄鸿図など、みな李瑞清の生徒です。1920年8月初め頃、李瑞清は54歳で亡くなりました。康有為は弔問用の対聯を贈呈し、弟子である胡小石、张大千などが葬儀を司会しました。、李瑞清は牛首山東麓の現在の場所に葬られています。2002年4月、南京大学の百年記念式典に際し、南京大学と江寧区文化局は共同で墓園を修繕し、お墓の周囲を回廊にして、墓前には「李瑞清生涯記」の花崗岩碑を建てました。南京大学の代表、江寧区政府と区文化局の代表、南京大学同窓会や李瑞清の後裔が共になり、ここで石碑掲式を開催しました。李瑞清の墓は塊石とコンクリートで積み上げられて、周長は20m、墓底の径は2.1m、高さは1.3mとなっています。




1992年3月、李瑞清墓は市級文物保護単位に評されました。


特別注意:このスポットは、周囲環境は整備・改善が進んでいる中で、一時的に観光客へ開放しないことがあるのをご了承ください!



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